chica’s 転職奮闘記

専門卒が大手外資で活躍できたワケ

【転職活動】の結果【外資系企業】へ_#8

まいどchicaです。



前回はブラック企業で人でなしのところまで逝って汗

そこからの逃亡までを書きました。

 

やっと、まともな人間に戻れたところまではいいのですが、

1ヶ月前までの自分に戻ってしまいました汗

 

ここからゼロの状態で転職活動をして行く自信がなく、

(気力までは戻っていませんでした)

誰かの紹介を頼って転職しようと決心。

 

紹介いただけそうな勤務先といったら、、、

 

・ワイン商社

・旅行会社

 

の2択だけ汗

 

ワイン商社は東京やから

手っ取り早く出向していた旅行会社!!!

 

そういえば旅行会社に出向していた時に

親身にしていただいた先輩がいたので、

先輩を頼って相談をしてみると、、、

先輩の旅行会社にソリスターで来ている人の顔が広く、

 

『聞いてみるわ』

 

のお返事!

 

そこからの展開が早く、

あれよあれよという間にご紹介をいただき、

面接から採用までトントン拍子。

 

1ヶ月前までの地獄の転職活動は

何だったのだろうか。

 

是非、転職活動が思うように進んでいない方は、

先輩、知人を頼ってみての転職活動はお薦めです。

 

『渡る世間に鬼はなし』

 

まさに親切な人もたくさんいるのだなと

心底出会いとご縁に感謝した瞬間でした。

 

転職先は旅行会社の中でも、

『ランドオペレーター』という業種。

 

ヨーロッパを中心に旅行会社からの依頼を受け、

旅行先のホテルやレストラン、ガイドやバス・鉄道

などの手配・予約を専門に扱う旅行会社でした。

 

今回の転職先は本社がイギリスの外資系になります。

 

はじめての外資系企業となり、

今までの職場の雰囲気とは全く異なりました。

 

組織はきっちりと縦割りになっており、

他部門のことはほとんど何をやっているか分かりませんでした。

 

1999年当時ですでに分業化が進んでいるのが、

日系企業との大きな違いでした。

 

そもそも外資系は中途採用が多くスペシャリスト採用なので、

JD以外のことはやらいないのが基本です。

(当時の私は知る由もありません)

 

私が配属された部署は積算(見積り)。

 

ん???

 

営業ではなく、、、

積算???

 

積算の仕事内容は、

営業が得意先の旅行会社からツアーの工程表をいただき、

全世界の主要都市にある支店へ値段を聞いて、

積算していく部署になります。

 

私の場合、知り合いのコネ入社で、

ランドオペレーターがはじめての業種だったので、

営業をするにしても現地の知識、相場感がある程度なければ

提案力で他社に負けるから要は商品知識を学びなさいという

会社の配慮があったからだったと思います。

 

それにしても、社内システムは全てが英語、

他支店への見積依頼も当然英語。

 

おかげで英語への抵抗感は無くなりました。

 

毎日英語と格闘しながらツアーの見積していたおかげで、

ヨーロッパ観光のスポットや穴場を知ることが出来ました笑

 

ほとんど行ったことはございませんが笑笑

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

まだまだ転職奮闘記が続きます。

【ブラック企業】からの逃亡???_#7

まいどchicaです。

 

前回は大阪の実家へ戻ったものの

そんなこんなで実家を追い出され一人暮らしからの

転職活動でなんとか転職が決まったところまでを書きました。

 

3社目の転職先はビジネス参考書をビジネスマンに

売りつける仕事。

 

ブラック臭がプンプンです!!!

 

アプローチからクロージングまでを電話でこなして行く

電話営業になります。

 

架電先のリストは名簿屋から入手。

 

おそらくビジネスセミナーに参加した方々などの

仕事への意識が高い方々の名簿と思います。

 

今では個人情報保護法などで考えれませんが、

1999年当時ではセミナーへ申込んだ個人情報などは

名簿屋といわれる業者へ転売されていました。

 

午前の部は朝10時から架電がスタートし

ゴールデンタイムは12時から13時の昼休憩を狙います。

 

14時から午後の部がはじまり18時までで

その日の架電が終了。

 

18時からその日の振り返りとロープレがあり

仕事が終わるのは21時とか22時。

 

トークスクリプトが用意させていて、

当然アウト返しもバッチリです。

 

相手の感情をひたすら揺すぶって仕事中であろうが

何であろうがひたすらしつこく電話です。

 

相手が根負けするまで追い込んで行きます。

 

たしか参考書の値段が20万円からフルセットで50万円ぐらい

だった記憶です。

 

相手からのYesを引き出したら、

ローンを組ませて終了。

 

回収はローン会社なので申込書をいただくまでが仕事。

 

1日何百人とひたすら電話してひたすら喋りまくってると

何か宗教に取り憑かれたように、、、

 

『買わないあなたがおかしい』

 

ってなるですよ。

 

怖い!!!

 

そうやって自分を正当化しておかないと落ち着かない状態???

 

完全に逝ってます。

 

1ヶ月で退職するのですが、

2、3人の契約を巻いた時点で罪悪感に苛まれ退職???

いや、無断欠勤を続けて電話で辞めますと伝えました。

 

『逃亡』でした。

 

辞めたはいいけどこれからどうする。

 

また、また、転職活動の再開です。

 

今度こそは絶対ええとこ見つけたんねん!

 

退職直後はいっつもそのように意気込むのですが、

タイミングよくベストな転職先がそう簡単に見つかるはずございません。

 

君には学習能力が無いのかと、

当時の自分に言ってあげたいのですが、

人間追い込まれると同じ轍を踏んでしまいます。

 

みなさまには、

次の転職先が決まってから退職することをもちろんお勧めします。

 

が、、、

 

ねぇ、そんな上手いこと行くんやったらこのブログは読んでないと思います。

 

いいんです!!!

 

辛かったら逃げればいいと思います。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

まだまだ転職奮闘記が続きます。

2回目の【転職活動】営業は【俳優業】?_#6

まいどchicaです。



前回は東京でのワイン輸入商社で

仕事はしてみたものの

いろんなことが重なり東京を去ることにした

ところまでを書きました。

 

現職で色々と悩み事を抱えながら

お仕事をされていらっしゃる方も多いと思います。

 

いいんです。

 

辛かったら職場から逃げればいいと思います。

 

現職に留まって身体を壊しても何も得られるものは無いんですから。

 

それよりも次のステップへ向けて、

前へ向く気持ちで健康的にいく方が楽しいですよ。

 

世の中にはいっぱい、いっぱい仕事があります。

 

たまたま、合わない仕事、人間関係、環境に

出会ってしまっただけで、、、

 

次に行ってみましょう!!!

 

次の転職先に良いコンディションで移るためにも。

 

さて、大阪の実家へ戻って来れた

ところまでは良かったのですが、、、

 

仕事を探す前に家を探す羽目に汗

 

実家は大阪で飲食店を数店舗経営しており、

父は跡を継ぐものだと、、、

 

ところが、息子は跡を継ぐのでなく

またもや転職活動!

 

当然ですよね!

父はブチギレて、

 

『すぐ出てけー!』

 

昭和の頑固親父そのものでした。

 

どうにかこうにか住む家は見つかったものの、

なけなしの貯金をはたいてかなり痛い出費でした。

 

無収入で家賃を払いながらの転職活動は

精神的にかなり追い込まれる物がありました。

 

転職活動から5ヶ月目に次が決まるのですが、

それまでに書いた履歴書は100枚近く汗

 

当時は今と違って手書きの履歴書、

証明写真代もバカになりませんでした。

 

履歴書を手書きかパソコンかで

悩んでいらっしゃる方もいると思います。

 

今の時代はパソコンでしょう!

 

パソコンで作成して余った時間を

企業研究に割いた方が断然効率的です。

 

はじめはやはり旅行会社を中心に、

それでも決まらないから業種を広げ営業全般に。

 

焦りと不安の中、

志望動機、長所、短所、自己PR、

数年後の未来像など

面接問答なんて考えている余裕すらなく

負のスパイラルへと突入。

 

ある先輩が言ってました

 

『営業マンは俳優業や』

 

今となっては分かります。納得しかございません。

 

やはり面接も営業と一緒で『自分』という商品を

どうプレゼンするか。

 

焦っていてタドタドしく、

自分ところの商品もよくわかっていない営業から

はたしてお客様は

 

買いたい!

 

って思うでしょうか???

 

やっぱり事前準備は大切だと思います。

 

当時の自分にはそんな事は

全く見えてませんでした。

 

そんな中、なんとか転職出来た先は、

ビジネス参考書を売る怪しい会社汗

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

まだまだ転職奮闘記が続きます。

東京で惨敗し【退職】そして【大阪】へ_#5

まいどchicaです。

 

前回は旅行会社から

ワイン輸入会社へと変貌を遂げ、

東京へ転勤したところまでを書きました。

 

考えてみたら営業の仕事内容として、

まず物販をしたことがない。

 

無形商材から有形商材へのスイッチは容易だとよく言われておりますが、

 

ズバリ、、、

商品によります

 

売れるのは押売りが出来る人種であって、

多くの人はそうでないとは思っております。

 

ご多分に漏れず私も多くの人の部類です。

 

さて、新しい会社のワインはといえば、、、

 

素晴らしい!

 

良い商品に出会える旅に出かけるも

転職の楽しさのひとつです

 

ズブの素人でもちょっとの知識で

売れてしまうです。

 

と言っても、当時の私にはそんなことは

一切分かりませんでしたが笑

 

とはいえ、、、

なんせワインの知識を習得するのに

手こずりました。

 

毎週末、仕事が終わってからアカデミーデュヴァンの講師が

来社しては勉強会とテースティング会。

 

それが半年間は続いたと記憶しております。

 

流通の仕組みやら業者用語、

商品知識の習得と毎日が脳みそ沸いてました笑

 

しかも、イケイケの営業部隊だったので、

それはそれは毎日が数字との闘い汗

 

商品の回転よりも人の回転の方が

良かった気がします汗

 

ただ、営業の基本はこの会社で学はしていただきました。

 

電話営業、飛込み営業、既存営業と、、、

色々と担当させていただきました。

 

そんな日々が続いて1年ほどすると、

慣れない環境とストレスの影響で

めまいが出始めました。

 

通院はしてみたものの、

回復の兆しは見えず、、、

 

このまま辞めて大阪へ戻っても仕事ってあるのかな。

 

進むも地獄、残るのも地獄、、、

 

心がやられる前に脱出してしまえと決め、

退職して東京を離れて大阪へ戻ることにしました。

 

やっとあの環境から脱出できた解放感と

プレッシャーに負けてしまった

まさに、、、

 

『惨敗』

 

このことばが身に染みてしまいました。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

まだまだ転職奮闘記が続きます。

【メインバンク破綻】の影響で【東京転勤】_#4

まいどchicaです。



前回は初めての転職活動でやっとこさ転職できた

旅行会社までのことを書きました。

 

旅行会社と言ってもユナイテッド航空

代理店になりますので、

業態はホールセラーになります。

 

以前のブログに書きましたが、

添乗員が同行するような◯◯ツアーというのには

全く興味が湧きませんでした。

 

仕事内容はユナイテッド航空の格安航空券

旅行代理店に販売する仕事です。

 

東京本社になり、大阪支店は社員が3名の

ほんとに小さな所帯でした。

 

入社したのが97年の春先で所長が数ヶ月後に退職。

 

『えっ!』

 

『手配課の女性と私と2人ですか???』

 

『いや、そりゃ無理でしょう。』

 

そこはさすが、、、

アメリカ人社長

 

そうそう、社長はアメリカ人で

東京大学文学部に留学していたので、

日本語はペラッペラ。

 

いっつも目の奥が笑ってないのが怖かった汗

 

派遣社員を1人入れて3人で回しなさいとのこと。

 

やりますよ、やってやりますよ。

 

社会人2年目の私が所長代理みたいな

まねごとをする羽目に汗

 

航空会社との契約更新や取引先との折衝など

無我夢中でやっていたいた記憶がございます。

 

ただ、今となって思い返してみると

『為せば成る為さねば成らぬ何事も』

上杉鷹山の言葉ですが、出来るもんなんですね笑

 

ほんまに必死のパッチでした笑笑

 

そうこうしているうちに97年の秋口にですね、

北海道拓殖銀行破綻

山一證券破綻

どえらい世の中になってもうたと思っていると、

 

なんと、、、

会社のメインバンクが拓銀

 

はい、詰みました汗

 

しかし、こっからが只者ではないアメリカ人社長。

 

旅行会社と別法人でやっていたワイン輸入会社を

早速に精算。

 

新しい会社を設立させてワイン事業部と

旅行事業部を発足。

 

旅行は儲からなくなったからとの理由で

ワイン事業部へ来いと!

 

いや、

ワインなんて赤、白、ロゼぐらいしか

知識がないんですけど、、、

 

会社:大丈夫!

ワインのプロを講師に呼んで徹底的に

勉強するから。

 

私:っていことは、東京本社ですよね?

 

会社:1年だけ勉強のつもりで東京に来て、

1年後は大阪でワイン事業部の

西日本ということで考えてる

 

選択肢はないか、、、

一度は行ってみてもいいかなと

花の都大東京へ行くことに。

 

もちろん生まれてはじめての東京、

そして、訳分からんワイン。

 

不安だらけの東京転勤となりました。

 

今となっては、

新しいことにチャレンジ出来る環境

会社に与えていただいたことに感謝しております。

 

この転機が今後の社会人生活に

大きな影響を与えることになるとは

全く気付く余地もありませんでした。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

まだまだ転職奮闘記が続きます。

人生初の【転職活動】と【志望動機】_#3

まいどchicaです。



前回は何となく就職した会社から出向することになったところまでを書きました。

 

出向先の旅行会社でようやく社会人としての基礎を学ばしていただきました。

 

取引先が一流企業ということもあり、

言葉使いから電話応対、そして旅行会社の仕組みまでを本当に丁寧に教えていただきました。

 

出向元へ戻るのでなく、

このまま出向先でずっと働けたらいいのになと思ってました。

 

が、人生思い通りにならないのが常

 

『半年間の勉強』という名の出向が終わり出向元へ戻ることに。

 

出向元へ戻ると旅行の仕事が出来ると思いきや、

カメラの現像をしている部署へ移動となり毎日カメラの現像処理。

 

これはやってやれないと思い転職活動へ。

 

1997年当時、転職媒体と言えば雑誌媒体のB-ing(リクルート、そしてハーローワーク

 

この2択しかなかったような気がしております。

 

それとも、情報量がなくその2択しか知らなかったのか。

 

記憶が曖昧ですみません汗

 

そこで、なぜかハローワークの選択はなく、

B-ingの一択で旅行会社を探していたのを記憶しています。

 

仕事を続けながら毎週発刊されるB-ingを立ち読みしながら旅行会社の求人があれば、

その号を買っては履歴書、職務経歴書を作成しては応募しておりました。

 

確か活動開始してから2ヶ月目の面接で次の転職先が決まりました。

これはラッキーでした。ほんまに、、、

 

まだ26歳という年齢、2社目という綺麗な職務経歴

若さってやっぱり特権階級ですよね笑

 

よく『石の上にも3年』『最低でも3年は勤めないと』など3年というキーワードが出てきますが、

個人的には3年だろうが1年だろうが違うって思えば次の選択肢を考えるべきだと思います。

 

そして、すぐ実行!

 

20代であれば経験値よりも次の会社で何がやりたいかの思いを面接の場で伝えることが重要です。

 

実際に私は『何としてでも旅行会社で仕事をしたい』という確固たる思いで面接に挑みました。

・何のための専門学校だったのか。

・半年間ではあったものの実際に旅行会社の仕事を経験できたこと。

 

前回でもお話ししましたが、

何となくではなかなか面接を突破していくのはむずかしいです。

 

志望動機で重要になってくるのは、

今までの経験からどんなスキルをもっているか

・そのスキルを活かすことでどうやって会社に役立てることができるか

・仕事内容にどんなやり甲斐をもっているか

この3本立てで構成していけば採用担当者も読みやすくなり、

人物像をイメージしやすくなると思います。

 

さて、次の会社はユナイテッド航空の代理店をしている会社で取引先は旅行代理店になります。

 

やっとこさ、念願叶っての旅行会社。

 

このまま順調に行くはずもないのが人生。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

まだまだ奮闘記はつづく、、、

人生初の【就職活動】_#2

まいどchicaです。

 

 

前回のブログでは紆余曲折がありなんとか専門学校を卒業できた所までを書きました。

 

さて今回は人生初の就職活動になります。

 

新卒は新卒でも私の場合、

夜間部でなおかつ寄り道をしていた都合で専門卒とはいえ御歳24歳笑

 

96年といえば…

拓銀山一證券破綻の前年(確か両社とも97年に破綻)。

 

まさに就職氷河期真っ只中での就職活動となりました。

 

みなさんはどうでしょう?

就活生は企業研究をしたり、

今でしたらSPI対策をしたりと大忙しと思います。

 

当時も今と変わらず、

当然、私の周りの学生さんは面接対策やら筆記試験対策やらで大忙しの中、

私の場合、そこはなんとかなるでしょのノリで全く何も考えずに笑

就職課に貼られているとある旅行会社へ面接に!

 

業務渡航を専門に扱っている旅行会社で社員数は7名の小さな会社。

どうやら社長さんが有名な方らしく取引先は関西で超有名な企業ばかり。

 

旅行会社といえば、

JTB近畿日本ツーリスト日本旅行、そして格安ツアーで頭格を表していたH.I.S.

◯◯ツアーとかやってる旅行会社じゃないのっていうツッコミが聞こえそうですが、

そこはchica…

全く興味がなく笑

法人営業の方が仕事をしてるって感じぐらいのノリで業務渡航一本で考えてました。

 

話しは戻りまして、

面接対策はなし、その時の雰囲気で何とかなるっしょでした。

 

結果、一次面接は通過しましたが最終面接で社長から、

『ウチでは他の候補者に決まったけど、

知り合いの会社が新しく旅行事業をするから一回面接受けてみる?』

そりゃ二つ返事で『よろしくお願いします。』って言いましたよ笑

 

なんとその会社は、

TVCMもやっていた「カメラのな◯わ」でした汗

 

事業部長との面接か面談かよく分からない場で話しをして、

何となく、ほんまに何となく内定をいただいた感じです。

 

この何となくが厄介なやつでして!

本人が何となくってことは、

 

そう、企業側も何となくしか候補者に接していない。

就職、転職ではこの感覚をひじょうに大切にしていただきたい。

 

フワッとしたまま焦って就職すると、

こんなはずではなかった!

もっと違う適職があるはずだ!

負のループにハマります。

 

結果、何となくの就職。

そして、旅行会社ではなく流通小売業の新規事業へ汗

 

しかも新規事業である旅行部門はズブの素人私一人。

 

何が出来る訳でもなくただ時間が過ぎ去って行き、

このままどないなるやろか汗

と、焦っていると3ヶ月後に旅行会社の勉強をしてこいということで、

最初に面接をした業務渡航をやっている旅行会社へ出向することに!

 

Yes!!!

やっと旅行の仕事ができる涙

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

次は人生初の転職活動になります。